御靈神社(上御霊神社)

挙式神社
御靈神社(上御霊神社)
当時の社地は、“御霊の森”と呼ばれる古木がうっそうと茂る森林地帯。室町時代の文正2年(1467年)、この上御霊神社の境内に陣をひいた将軍を補佐する管領家の畠山政長に義弟の畠山義就が襲撃。以後11年間、現堀川通りを挟んで激烈な戦いが続き京都の大半を焦土と化した。上御霊神社は、歴史に残り今尚語り継がれている有名な「応仁の乱」の勃発の地でもあります。 また、畠山政長がこの“御霊の森”に本陣をひいたのに対して、畠山義就の本陣は堀川通の西側、現在の大宮通今出川付近を示し、これを西陣と称し、後に“西陣”の地名や“西陣織”などの名称の由来ともなりました。

挙式費用
80,000
(非課税)

概要
延暦13年(794年)崇道天皇を祀ったのが始まり。その後仁明、清和天皇時代をへて7柱が合祀され、貞観5年(863年)悪疫退散の御霊会が勅命で催されました。その後も、国家、皇居、都民守護の社として朝野の崇敬を集めております。なお境内の‘御霊の森’は応仁の乱の発端となった地。また、上御霊神社の「御霊祭」は貞観5年の御霊会が起源であり、京都でも最古の祭礼といわれております。

知っ得情報
「碑」の数々と唐板の煎餅

「応仁の乱勃発の地」の碑をはじめ「清明心の像」。国語学者の広辞苑の編集者 新村出の歌碑や元禄3年向井去来ら門人と上御霊神社を参拝されて、別当家で半日を過ごし「年忘歌仙」を奉納された<松尾芭蕉の句碑>「半日は神を友にや年忘」の句も有名です。また、社前で売られる名物菓子「唐板の煎餅」は、疫病除けのご利益があるといわれており、明治維新まで皇室で皇子が誕生するたびに、上御霊神社へ参詣して唐板の煎餅をお土産にしたといわれる逸品でもあります。

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