挙式費用
200,000円
(非課税)
概要
御本殿は大宝元年、秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勅命を奉じて創建以来、皇室や幕府の手で改築され、現在のものは室町初期の応永四年(1397年)の建造にかかり、天文11年(1542年)大修理を施したものです。建坪35坪余、桁行三間・梁間四間の特殊な両流造りで松尾造りと称せられています。箱棟の棟端が唐破風形になっているのは他に類例がなく、柱や長押などの直線と屋根の曲線との調和、木部・桧皮の色と柱間の壁の白色とが交錯して醸し出す色彩の美しさ、向拝(ごはい)の斗組(ますぐみ)・蟇股(かえるまた)・手挟(たばさみ)などの優れた彫刻意匠も中世の特色を遺憾なく発揮しており、国の重要文化財に指定されています。社殿の背後の松尾山を含む約十二万坪が境内で、その全域が風致地区に指定され、大部分が古都保存法の特別地区になっております。
知っ得情報
松尾大社を象徴する大庭園「松風苑三庭」
松尾大社の松風苑三庭は、現代庭園学の泰斗・重森三玲氏が長年にわたる庭園研究の奥義を結集し、この地上に残す最高の芸術作品として、全身全霊を傾注して造られた庭園です。
〔上古の庭〕
遠く昔、上古の時代には、どの場所にも神社も社殿もなく、山中の巨岩などが神霊のやどる聖地とされており、その場所を磐座(いわくら)、或いは磐境(いわさか)と言います。松尾大社でも御本殿が建てられる以前は、神社後方の松尾山々中頂上近くにある磐座で祭祀が営まれており、この古代祭祀の場である磐座を模して造られました。
〔曲水の庭〕
王朝文化華やかなりし平安貴族の人々が、慣れ親しんだ雅遊の場を表現したものです。松尾大社は平安時代、京の都を守る神様、すなわち北の「賀茂の厳神」と並び、西の「松尾の猛霊」と尊び称せられて隆盛を極めており、当時の時代背景を顕わして、艶やかな中にも、気高い当時の面影を内に秘め、しかも極めて現代風に作庭され、四方どちらからみても八方美の姿が特色です。
〔蓬莱の庭〕
蓬莱とは、不老不死の仙界の意味で、その島にあこがれる蓬莱思想が鎌倉時代に最も流行しました。鎌倉将軍「源 頼朝」は、当神社に対し神馬十匹・黄金百両を献じて深い尊信の念を捧げ、以後も武門の崇敬は変わることなく明治の時代まで続きました。蓬莱の庭は、その鎌倉期に代表される回遊式庭園を取り入れたもので、全体が羽を広げた鶴を形どられております。